「中小企業新事業進出促進補助金」(以下、新事業進出補助金)は、最大規模の補助金額が設定されている一方で、事業実施後の成果目標、特に「賃上げ」に対して厳格な要件が設けられています。

本制度は、企業の成長成果を従業員へ還元することを目的の一つとしており、計画された賃上げ目標が未達となった場合、受給した補助金の一部または全額の返還義務が生じる規定が存在します。

本記事では、申請前に必ず把握しておくべき「賃上げ要件」の具体的数値基準と、目標未達時における「補助金返還額の算定ルール」について、実務的な観点から解説します。


1. 必須となる「賃上げ要件」の数値基準

本補助金を申請するすべての事業者は、補助事業終了後3〜5年の事業計画期間において、以下の2つの基準を満たす計画を策定し、実行する義務を負います。

① 給与支給総額の増加(年率2.5%以上)

事業計画期間において、「給与支給総額」を年平均成長率(CAGR)で2.5%以上増加させることが必須要件です1

  • 給与支給総額の定義: 従業員に支払う給料、賃金、賞与の合計額(役員報酬、福利厚生費、退職金は除く)22
  • 実務上の留意点: 昇給による増加だけでなく、新規採用による総額の増加も含まれます。

② 事業場内最低賃金の引上げ(地域別+30円以上)

事業計画期間中、毎年、事業場内最低賃金(事業所内で最も低い時給額)を、その地域の最低賃金+30円以上の水準とすることが求められます。

  • 実務上の留意点: 地域別最低賃金は毎年改定(上昇)される傾向にあります。これに連動して、常に「+30円」の差額を維持し続ける必要があります。

2. 「賃上げ特例」適用時の追加要件

補助上限額の引き上げ(最大9,000万円等)を目的として「大幅な賃上げに係る補助上限額引上げの特例」を適用する場合、上記1の基準に加え、以下の目標値が上乗せされます4

項目基本要件特例による上乗せ合計目標値(必須)
給与支給総額年率 2.5%+ 3.5%年率 6.0% 以上
事業場内最低賃金地域別 +30円+ 20円地域別 +50円 以上

年率6.0%の給与総額増加は、5年間で約1.34倍の規模となります。これを継続的に賄えるだけの収益計画(付加価値額の向上)が伴っているかが審査の重要ポイントとなります。


3. 目標未達時における「補助金返還」の規定

事業終了後の「事業化状況報告(5年間)」において、上記の目標値が達成されていないことが確認された場合、以下の規定に基づき補助金の返還が求められます。

ケースA:基本要件(給与支給総額)が未達の場合

目標値に対する未達割合に応じて、補助金の一部を返還します。

【返還額の計算式】

$$補助金返還額 = 補助金交付額 ×( 1 – {実績成長率}/{目標成長率}}

※実績成長率がマイナス等の場合は、全額返還となります。

ケースB:基本要件(最低賃金)が未達の場合

各年度の判定において基準(地域別+30円)を下回った場合、その年数に応じた金額を返還します。

【返還額の計算式】

$$補助金返還額 = {補助金交付額}{事業計画年数(例:5年)}

※5年間のうち1回でも未達があれば、補助金額の5分の1に相当する額の返還義務が生じます。

ケースC:賃上げ特例(上乗せ分)が未達の場合

特例要件(給与総額年率6.0%増など)のいずれか一方でも未達となった場合、「特例適用により上乗せされた補助金額」の全額を返還しなければなりません。

  • 注意点: 特例部分については「一部返還」という措置はなく、要件を満たすか否かで全額返還かどうかが決定します。

4. 返還免除規定とリスク管理

公募要領には、一定の条件下で返還を求めないとする免除規定が設けられています。

  • 免除条件: 付加価値額が増加しておらず、かつ企業全体として事業計画期間の過半数が営業利益赤字の場合。
  • 天災等: 天災など事業者の責めに負わない理由がある場合。

ただし、これらは経営状況が著しく悪化した際の救済措置であり、事業計画策定段階でこれを見込むべきではありません。原則として返還義務が発生するものと認識し、財務シミュレーションを行う必要があります。


5. 実務上の対応策

本補助金の申請にあたっては、以下の手順で計画の妥当性を検証することを推奨します。

  1. 財務シミュレーションの実施:直近の決算数値に基づき、年率2.5%(または6.0%)の人件費増がキャッシュフローに与える影響を試算してください。
  2. 付加価値額との連動性の確認:賃上げ原資は、新規事業による「付加価値額(営業利益+人件費+減価償却費)」の向上によって賄われる必要があります。人件費の伸び率以上に、付加価値額が伸びる計画(年率4.0%以上推奨)となっているか確認してください。
  3. 従業員への表明と書面化:交付申請時までに、賃上げ計画を全従業員(または代表者)に表明することが必須要件です12。表明を行ったことを証する書面(議事録や署名等)の整備が必要となります。

まとめ

新事業進出補助金における賃上げ要件は、企業の経営方針そのものを左右する重要な契約条項です。

「採択されるための計画」ではなく、「自社が確実に実行可能であり、かつ成長に寄与する計画」を策定することが、返還リスクを回避する唯一の方法です。

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